写真矢野川正和先生

先生のコメント
四ヶ村溝(しかむらみぞ)…藩政時代、土佐藩奉行の野中兼山により、四万十川の支流、後川(うしろがわ)の麻生(あそう)に分水目的の井堰(長さ160m、幅11m)を設け、秋田(あきた)、安並(やすなみ)、佐岡(さおか)、古津賀(こつか)の四ヶ村を灌漑するために作られたものです。
この溝から水田に水を汲み上げるために数多くの水車が設置され、その豊かな風情は、「四ヶ村溝の水車」の名称で親しまれました。
そして、大きな役割を終えた今も受け継がれ、ここに生きた人々の息吹を感じさせます。

 
       
       
<その他風景>